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2021-03-21 (Sun) 18:12

オースン・スコット・カード「エンダーのゲーム」とSFファンへの回帰


ビジネスブログということで、稼ぎ方とか自己啓発とかについていろいろ書いていたんだが、全然受けないし飽きてきたし(笑)で行き詰まったので、閲覧数とか気にせずに好きなことだけ書くことにした。ということでSFネタを連日お伝えしておるんだけど、実を言えば自分自身が驚いているのである。というのも、十数年前にある事情があって、SFという文字を見るのも嫌になっていたのだ。家にあるSF本は全部処分しようと思ったのだが、それももったいないと思いなおして、本をバラして自炊することにした。結局、三年くらいかかって千冊近くをデータ化し、現物の本は捨ててしまってスッキリしたわけである。しかし今になってふと思い返してみれば、十数年前に抱いた怒りはかなり薄れてしまっており、心情的にはあれだけ嫌だったSFとか小説の世界に戻ってきているのだ。


実は以前にもこういう経験をしたことがあって、僕は幼少期からSFマニアだったのであるが、十代の頃にやはりSFに嫌気がさしてしまったのである。これは中学校で無茶苦茶ないじめに遭っていたことが原因であって、大好きだった眉村卓や光瀬龍のSFジュヴナイルは、たいてい学校を舞台にしていて中学生の少年少女が登場するでしょう。学校に対する憎しみが先に立って、とても読んではいられないのである。これを克服したのは二十歳を過ぎてからのことで、オースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」の紹介文を読んだ時にビビビッときて、これは自分の理想とする作品であると直感して、まさに電撃的にSFファンへと本卦返りしたのであった。この「エンダーのゲーム」は大学の仲間に宣伝して無理に買わせたので、僕のおかげで売り上げが上がったはずだ。


エンダーのゲーム


それ以来ずっと僕はカードのファンなのであるが、この人は宗教的なことをずらずら書いて悦に入る(?)ところがあって、どの辺が受けているのか自分で分かってないのではなかろうか。「エンダーのゲーム」は「宇宙の戦士」の現代版として、息もつかせない展開のミリタリーSFとして圧倒的に面白かったのだが、続編の「死者の代弁者」では大量殺戮を悔恨するばかりの女々しい内容に終始して、圧倒的につまらない。邦訳されたものでは「神の熱い眠り」「第七の封印」「アビス」なんかは好きなんだが、内省的で地味な展開のものは読んでいられないのである。これは僕が極端なストーリー至上主義者で、プロットの完成度の方にばかり目がいくという困った習性のためだろう。要するに、アクションもので分かりやすいドンパチがあって、ラストを盛り上げて着地を決めてこその小説だ、という思い込みが強いのだ。まあ、幼少期からSFファンとして進歩してないのだろう。


さて、今回は別にビビビッときたわけでもなく、ただなんとなくSF小説の世界に戻ってきたのである。ダメな息子がふらっと実家に帰って来たようなものかも知れない。ただ、「エンダーのゲーム」の頃はSFバブルまっただ中という時期だったが、現在は出版点数も減っているし専門誌もほとんど休刊しちゃったしで、冬の時代といったところだろう。SF自体が昔に比べて分かりにくくなっていて、若い世代にどう伝えるべきなのか、相当難しい時代という感じがする。そこで改めてSF小説云々を叫ぶのは、わざわざタイタニック号に乗り込んでくるみたいな行為なのかも知れないが、ダメ息子としてはそれもまたふさわしいような気がする。好きなことを好きなように書いても、ツッコミが入ったり炎上したりすることもないので、冬の時代のおかげでかえってブログはやりやすくなった。こんな時代だからこそ、逆に冷静な評論がやれるんじゃないかと希望的に考えているわけだ。


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最終更新日 : 2021-03-23

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