文学チャンネル

SFを中心に新作小説、翻訳、文学の話題を提供

Top Page › 読書日記 › フィリップ・ロス「素晴らしいアメリカ野球」 日本における野球小説の名作
2021-05-08 (Sat) 17:05

フィリップ・ロス「素晴らしいアメリカ野球」 日本における野球小説の名作


先年、フィリップ・ロスが亡くなった時に85歳という年齢を聞いて、ちょっと意表を衝かれてしまった。僕の中では若手作家という印象があったからなのだが、考えてみればこっちが子供の頃に若手であっただけで、今では当の僕が後期高齢者という感じになってきている。それはともかくとして、フィリップ・ロスで思い浮かぶのは映画化もされた「さようならコロンバス」と、野球小説の最高峰と信じて疑わない「素晴らしいアメリカ野球」である。晩年にはノーベル賞の有力候補に挙げられる大物になっていたロスであるから、芸術性からいって「ポートノイの不満」などの評価の高い作品に言及するべきなんだろうけど、僕にとっては野球小説の人なんだよね。といっても「素晴らしいアメリカ野球」は絶版になって久しいので、いまさらゆとり諸君にアピールするのは難しい状況になっているようだ。これだけ情報が溢れかえっている時代なのに、名作になればなるほどなかなか読めないという、妙な現象が起こりがちなのである。


「素晴らしいアメリカ野球」という作品のことを知ったのは、僕がまだご幼少の頃であった。小学生の時に少年ジャンプを読んでいたら、集英社版・世界の文学というシリーズのカラー広告がはさまっていたのである。それがちょうどフィリップ・ロスの配本の回で、「さようならコロンバス」「素晴らしいアメリカ野球」をカップリングした構成だった。そこに書いてあった簡単なストーリー解説を見て、これは名作に違いないとビビビッときたんですな。しかし、小学生なのでそんな何千円もする豪華本は買えないのである。というわけで、この野球小説のことが心の中で何年もモヤモヤしていて、高校生になって地方都市の大きい本屋へ行くようになった時に、ようやく現物とめぐり合って購入することができたのである。この作品は野球小説として成功した稀有な存在だと思うが、洒落と語呂合わせが全編にわたって展開しているようで、中野好夫をもってしても日本語化は困難だったようだ。のちにロバート・レッドフォードの「ナチュラル」を見た時に、「素晴らしいアメリカ野球」のことを思い出した。


フィリップ・ロス


さて、日本においては野球小説というのは、アメリカよりもさらに成立が難しいように思うのである。「消えた巨人軍」みたいにサスペンスの小道具としてはともかく、本格的な野球小説はなかなか書きようがない。数日前に当ブログで紹介した「ジャイアンツの歴史」は、数少ない読み応えのある書物であったが、この種の歴史本も今どきのゆとりには全くアピールしないし、また左翼的なスタンスに立てばアンチ巨人本ということになり、余計な要素が入ってきてしまう。むしろ「ナンバー」ビジュアル版の野球シリーズとか、昭和40年代の児童書(もちろん巨人軍やON中心の内容である)あたりの方が、記述が公平であるような気がする。ここで言う公平とは、もちろん巨人寄りということなのだが(笑)。そんな中で、エンタメ野球小説として珍しく成功しているのが、つかこうへいの「ジャイアンツは負けない」である。これはV9後の弱体化した巨人を率いることで、国民的スターの長島が恥をかいてはいけない、という親会社の判断で、なぜか舞台演出家の「つか田」が巨人の監督になってしまうというコメディであった。


つかこうへいは小説を書くとどうも支離滅裂になっちゃう人なんだが、この「ジャイアンツは負けない」はほぼ唯一と言っていいほどによくまとまっていた。同じ作者で「長島茂雄殺人事件」というのもあって、これは野性時代連載中に笑い転げながら読んでいたが、やっぱりストーリーが空中分解してしまう。カドカワノベルズで一冊にまとめた時にかなり削除や加筆で修正して、どうにか着地には成功したのだが、連載中のハチャメチャな面白さは何割か失われてしまったようである。とにかく、つかこうへいの二作品が僕にとっての面白い野球小説のベスト2なんだが、もうひとつ挙げるならば高橋三千綱の「さすらいの甲子園」だろう。高橋三千綱も面白いことを書くんだけど全体のまとまりがいまいちという人で、短編の方に名作が多い印象である。だが「さすらいの甲子園」「真夜中のボクサー」みたいに、まぐれで(こらこら)長編がまとまった時には奇跡的な傑作が生まれるようだ。このように、野球小説の名作を書くにはジャイアンツ愛が必要なのは言うまでもなく、巨人軍をけなせば正義という誤った風潮が、文学の発展をさまたげているのである。







クリックお願いしまーす



ファンタジー・SF小説ランキング
関連記事

最終更新日 : 2021-05-08

Comment







管理者にだけ表示を許可