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2021-04-15 (Thu) 17:16

五木寛之「風に吹かれて」 読書遍歴をめぐる心の旅


少し前に、自分探しの旅などという恥ずかしい言葉が流行した。実際に汽車に乗って旅行しちゃうアホな女などが存在したようだが、あれは精神的・観念的な話であって、どこかへ行ったら自分が見つかるというものではないだろう。いわば「心の旅」というやつであろうが、これもなんだか恥ずかしい。チューリップでいえば「サボテンの花」「虹とスニーカーの頃」もどうも恥ずかしく、同じ恥ずかしいならオフコースの「愛を止めないで」の方がすっきりしていて好きである(何の話だよ)。そこで僕自身の話に転じれば、このところ妙ななりゆきから、自分が純文学を書く人だったことを急に思い出したのである。ある時期から現実逃避して、エンタメ系の文章を書かなくてはならないという強迫観念に追い立てられていたのだが、そんな決まりはどこにもないことに気がついた。というか、もとから同じ位置に立っていながら、見たくないものを見ないようにしていたのである。


というわけで、記憶喪失(?)になる以前にどういう本を読んで何を指向していたのかを、少しずつ思い出そうとしているのである。これが僕にとっての自分探しの旅であり、心の旅ということなのだろう(やっぱり恥ずかしいけどね)。そこで反射的に五木寛之を思い出した。別に五木寛之に影響されたわけでもなければ、とりたててファンであったこともないのだが、中学生の頃に日本文学にのめり込みはじめた時期によく読んだ人の一人なのである。五木寛之の作品で、一番ポピュラーなのは「青春の門」であろう。当時、作品的には「戒厳令の夜」の評価が高かったと思うのだが、「青春の門」は適当に通俗的で読みやすく、少年の成長物語としての格調もあり、さらには適度にエロいシーンもあって若年層にアピールするという、うまいというかズルい作品だと思う。高校生の頃に「筑豊編」「自立編」が二度目の映画化となったが、特に後者は風間杜夫・平田満が早大生役で出てきたり、具志堅用高がボクシングシーンを監修したり、杉田かおるが脱いだりとお祭り的な要素があって面白かった。


風に吹かれて


しかし「青春の門」は昭和30年頃の若者を描いた話なので、どうしても左翼的な方向に行っちゃうのである。僕は右翼なので(笑)その辺が読んでいてきついし、自伝的要素があるために作者のこだわりというかアクが強くて、世間の評判ほどには評価していない。長編ではむしろ「青年は荒野をめざす」の明るくシンプルなスタイルの方が好きだった。それから、デビュー作である「さらばモスクワ愚連隊」からはじまる初期短編のカッコよさ、エッセイ集「風に吹かれて」のスタイリッシュな新進小説家ぶりにしびれたものである。同じ自伝的内容でありながらも、「青春の門」と比べて「風に吹かれて」はクールに突き放していてドギツさがないところがよかった。高田馬場駅から早稲田大学へ至る街並みの描写がしばしば登場するのだが、僕自身もあの周辺をよく徘徊していたので、まさに青春そのものという感じがするのだ。(もっとも、僕が在籍していたのはなぜか、早稲田じゃない方の大学なんだが)


五木寛之は「青春の門」の大ヒットのあと、女性を主人公にした恋愛小説を連発して、それらも次々に映画化・ドラマ化されてブームを呼んだが、さすがにその辺は読んでいない。やはり「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「戒厳令の夜」「青年は荒野をめざす」といったカッコいい小説を連発する、男前の新鋭作家という印象が強いのだ。そして、彼のよさは自身のカッコよさを意識しまくった「ええかっこしい」にあると思っていて、それが見事に結実したのが「風に吹かれて」なのである。僕自身、生まれつき顔がいいのでその気持ちはよく分かる(笑)。小説を書く上で参考になる部分といえば、五木寛之の短編小説を構成する手法だろう。ハンサムな青年が女にモテまくる小説を書くにはこうすればいいのだ、という技術を教えてくれる格好の教材である。小説志望者にはおたくっぽいやつが多いので、そういう作品を書こうとする者はほとんどいないだろうけどね。







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最終更新日 : 2021-04-15

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