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2021-03-23 (Tue) 13:59

宇宙の戦士 巨匠のターニング・ポイントになった意欲(右翼)作


ドストエフスキイではなくて、ドストエーフスキイと伸ばすところが、米川正夫訳の信奉者のこだわりなのである。ということで話を始めるのだが、ドストエーフスキイの初期作品はディケンズの影響を受けていると思う。もちろんプーシキン、ゴーゴリといったロシア作家を追従するところからスタートしているんだけど、初期代表作である「貧しき人々」「虐げられし人々」に描かれた、社会の最底辺に生きる人たちに対する愛情と共感はまさにディケンズであるし、「スチェパンチコヴォ村」で見せたユーモア感覚もディケンズに通じると思うんだよね。まあ、こういうことを英文学をやっとる男に語ったら、顔を真っ赤にして全否定されたので、おそらくは見当はずれなのであろう。もっとも、こっちは無学で気楽なので、思ったことを適当に言っているだけなのである。


なにはともあれ、それら初期作品だけでも優に大作家の風格を見せているドストエーフスキイの旦那であるが、「地下生活者の手記」がターニング・ポイントになって巨匠への道を歩みはじめたと言えるだろう。それまでは底辺に暮らす人々に共感したり同情したりして、いわば一緒に泣いていた旦那が、この作品に至ってついに開き直ってしまった。小説があまりに売れないもんだからキレちゃったらしいんだけど、要するに「俺が底辺の暮らしをしているのは社会が悪いからだ!これからは社会に対して復讐してやるぜ!」と居直り強盗みたいなことを言いだしたのである。ここでは単に言うだけ番長だったのだが、次の「罪と罰」では金貸しの老婆殺しを実行に移してしまった。とうとうやりましたか、というやつだ。これ以後、ドストエーフスキイは誰かの模倣の域を完全に脱して、文学史上に残る大長編を連発しちゃうわけである。


宇宙の戦士


などといったことは、僕の適当な解釈にすぎないので真に受ける必要もないんだけど、巨匠の作風がガラッと変わるターニング・ポイントというのは確かにあると思うんだよね。毎度ハインラインの話でアレなんですが、あのジジイに関して言うなら「宇宙の戦士」がそれにあたるのではなかろーか。ジュヴナイル作品なのにヒューゴー賞を取っちゃったこの一作、人型機動兵器のアイデアがガンダムの元ネタになったとか、語り出せばきりがないんだけど、僕の印象ではハインラインのプロット重視の姿勢が行き着くところまで行き着いて、もうこれ以上はストロング・スタイルを貫けなくなったのではないかと見ている。また、過激すぎる内容に批判が集まったことも事実で、右翼ジジイとしてはリベラル派に対して意固地になったのかも知れない。それ以降は、登場キャラの言葉を借りてお説教の応酬を繰り返す大長編「井戸端会議小説」を発表していくこととなる。


もっとも、ハインライン自身は、自分こそ真のリベラルだと思って書いているふしがあるのだ。とにかくアメリカ独立戦争が大好きで、圧政を嫌い自由を愛していることは確かなんだが、ただし自分で銃を持って戦った者だけが自由を手にする資格を得る、と信じ込んでいるのが問題(?)なのである。そして、真の自由を体現するのは強いアメリカである、というのが終生変わらぬジジイの根本思想なので、結局これはどう見ても筋金入りゴリゴリの右翼作家であろう。「宇宙の戦士」の後継作とみなされる「終わりなき戦い」や「エンダーのゲーム」では、反戦の匂いが一応織り込まれているし、映画化作品「スターシップ・トゥルーパーズ」は戯画化されたパロディ戦争ものという味わいがあった。この辺は、このご時世にあって戦争をテーマとする際の最低限のエチケットなのだ。今どき「宇宙の戦士」を正面きって評価しようものなら、自称リベラルのやつらは口から泡を吹いて失神しちゃうかも知れない(それも面白いけどね)。


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最終更新日 : 2021-03-23

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